「オグリの話」辻三蔵の「ウィークエンダー
 気がつけば、7月ですな。ここ3週は『KEIBAコンシェルジュ』の出演はなかったが、レギュラーの仕事に雑誌の締め切りが重なり、ドタバタしてしまった。その間にウインズ新横浜で宝塚記念予想ライブトークをしつつ(結果は縦目で的中…)、デミオを車検に出し、大庭と高橋智と上半期お疲れ会を行った。あれこれのイベントが終わり、通常営業に戻っている。
 最近、名馬関係の原稿を書く機会があり、昔の『優駿』や『サラブレ』を引っ張り出してアレコレ調べていたが、ファンの頃の熱い気持ちが蘇り、つい読み込んでしまう。私が競馬を始めたのはオグリキャップが負けた1990年・宝塚記念(1着オサイチジョージ)だから今から20年前になる。そういえば、ウチの親父が「競馬に絶対はある」と言ってオグリとイナリワン枠連一点買いで外していた。親父のあぜんとした表情を見たときに「競馬に絶対はないな」と確信したのを覚えている。
 私自身、オグリの強い時代を知らずに競馬を始めた。だからこそ、オグリがラストランの有馬記念で勝つとは思いもしなかった。弱いオグリが強い3歳世代(メジロライアン、ホワイトストーン)を破ったのが信じられなかった。
オグリの強さを知ったのは引退した後だ。祖父三蔵に教えて貰ったり(夏競馬ブログ参照)、レース映像を見たり、書き物を読んでからである。知れば知るほど、オグリの魅力に取り付かれてしまった。オグリのストーリーはメジロライアンに受け継がれて、メジロマックイーンとのライバル対決に繋がっていった。ライアン引退後はライスシャワーメジロマックイーンのライバルになり、無敗の二冠馬トウカイテイオー、無敵の三冠馬ナリタブライアンが登場した。90年代は息つく暇もなく名馬が現れて、すっかり競馬にハマってしまった。オグリの引退から20年経ったが、今でもオグリは私の心に生き続けている。オグリと少しでも同時代に生きたことを誇りに思う。私の競馬はオグリが始まりだった。
 そういえば、オグリワンを見るために小倉競馬場に行ったこともあったな。あれから16年か。時間を見つけて、久しぶりに小倉に行ってみるか。