変心

9月11日(日)巨人対広島23回戦は巨人が8対0で大勝した。

7回裏2対0巨人リードの場面で、高卒2年目19歳の塹江敦哉(ほりえ・あつや)がプロ初登板。
巨人打線にプロの洗礼を浴び、6失点を喫した。

塹江が登板したことに関して異論はない。
優勝決定の翌日、雪辱に燃える巨人打線の圧力に屈したが、これほど緊張感のある登板は今まで経験したことがなかったはずだ。
降板後、緒方考市監督が「1つアウトを取ったじゃないか。次は2つ取れよ」と励まし、次回登板があることを明言した。

今年の緒方監督はルーキーの岡田明丈、2年目の薮田和樹が大量失点を喫した後も奮起を促し、登板機会を与えた。
岡田、薮田も監督の期待に応えて結果を出し、ローテーションの1角を担う存在にまで成長した。
昨年の失敗を踏まえて選手、コーチ、チームスタッフを信頼し、実力を発揮できる環境作りに徹した。

『変わるしかなかった。』
野村謙二郎前監督が2015年2月に出版した著書名だ。

1年目は練習の段階から自ら先頭に立ち、選手に厳しく接っていたが、2年目から選手の指導はコーチ陣に任せて、チームを俯瞰的に見る立場になった。
野村前監督は「自分が経験してきた昭和的な指導法を捨て、観察と対話を重視するスタイルに変わるしかなかった。
選手の指導はコーチに一任する方向にシフトしたが、選手が不安にならないように監督とコーチの意見が一致することを意識した」と記している。

野村体制のときに5年間コーチを務めていたのが緒方監督だ。
最終年には野手総合コーチになり、試合では野村監督に代わり、作戦担当としてサインを出していた。
緒方監督は選手やコーチを信頼する「野村野球」の後継者として期待されたが、1年目は「野村野球」を否定した。

12日(月)NHK−BS1でアメリカ大リーグ「ドジャース」対「ヤンキース」の解説を務めたのが昨年の1軍打撃コーチだった新井宏昌氏だ。
カープの優勝について聞かれたとき、「カープの試合は気にしていたし、いい戦いをしているなと思っていました。
ただ、自分がいなくなった後に優勝したのは正直複雑な気持ちですね」と話していた。

野村体制から3年間、1軍打撃コーチを務めた新井宏昌氏は昨年のシーズン終了後に辞任を申し入れた。
中国新聞2015年9月24日「球炎」では「緒方監督と新井打撃コーチの意思疎通は極めて乏しく、攻撃の指揮系統は一本化できなかった。
ベンチやグラウンドで互いを避けるような姿に選手は戸惑い、迷い、一体感のある攻撃は生まれなかった」と書いている。
シーズン終盤、Aクラスを争っている大切な時期に地元主要紙の中国新聞に、チームの不協和音を報じる記事が出たことが異例事態だった。

しかし、今年の緒方監督は昨年、自分の意思を曲げなかった打順や投手起用を担当コーチに任せた。
チームの敗戦理由に対して「全ては結果論」と言い放った昨年と違い、今年は「自分の責任」と敗戦を受け止め、選手を庇う立場になった。
「変わるしかなかった」野村前監督同様、緒方監督も2年目で変心した。

今年も緒方カープの今シーズン初勝利をマツダスタジアムで見た。
緒方監督の今年に賭ける意気込みを感じたときに、黙って見届けようと心に誓った。

私たちファンは愛するカープのために応援することしかできない。
2008年に4番新井貴浩、エース黒田博樹がいなくなっても応援する姿勢は変わらない。
当時、高卒2年目だった前田健太が未来のエースになると信じて、必死に応援した。

塹江敦哉のプロ初登板はカープが常勝球団になるための第一歩だ。
消化試合に意義を持たせ、カープの未来に繋がる重要な一手を打った。
緒方監督の細やかな気配りに改めて脱帽した。