鯉時雨!辻三蔵の「ウィークエンダー
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 「カープが大好きなんでつらかったです。もうカープのユニホームを着られないのが寂しい」広島東洋カープ新井貴浩内野手が8日、フリーエージェント(FA)権の行使を表明した。昨年オフの「一生鯉宣言」からわずか1年。新井はカープを捨てた。
 新井はFA宣言の理由を「一野球人として自らを厳しい環境に置き、自分がどう変わっていくか、挑戦する気持ちが出てきた」と語った。優勝争いができるチームに入って、「しびれる場面でプレーしたい」。入団以来、10年連続、Bクラスに低迷しているチーム事情を考えれば、わからない話ではない。しかし、エースと四番がFA宣言して、「厳しい環境」に置かれたのは間違いなく、カープだ。球団は危機感を感じたからこそ、金本、前田を越える4年総額10億円の条件提示をした。ファンは昨年の黒田同様、応援フラッグに熱き思いを伝えた。存亡の危機に立たされたカープを救う。新井だからこそ、できることだった。
 しかし、新井はカープを捨てた。「カープの四番」としてではなく、一選手として、優勝ができるチームに所属する。今までのように勝敗を左右する「四番」の重圧もなければ、守ってくれる兄貴もいる。チームを背負う責任から逃げたのだ。
 その一番の要因は黒田のFA宣言だ。「(黒田のFA宣言で)どうなるか分からなくなり、不安になった」と新井は語った。不安なのはファン、選手、球団も同じだ。チームの危機だからこそ、残留して、カープを引っ張っていくと皆が信じていた。しかし、真っ先に逃げ出した。ファン、チームよりも自分を選んだ。自分一人の力ではカープを優勝できるチームにはできない。だから、優勝できるチームにいく。ただ、それだけのことだ。新井はカープを捨てた。
 「応援してくれるファンの気持ちを裏切ることになって申し訳ない。ただ喜んで出ていくのではないということを分かってほしい」と新井は最後に語った。何をか、言わんである。黒田は昨年、残留したときに「カープのユニフォーム相手に投げる姿が想像できない」と話した。だから、メジャーに行く可能性はあっても、国内移籍は否定した。しかし、新井は敵になる。カープを捨てた人間に同情を言われては立つ瀬がない。ファンの気持ちを逆撫でする言葉だ。
 広島生まれで広島育ちの新井はカープファンに愛されていた。球場での声援は一番、大きかった。駒大出身の新井は先輩の野村謙二郎の推薦でカープにドラフト指名された。江藤がいなくなったサードのレギュラーとして鍛えられ、金本移籍後は4番に抜擢された。当時の山本浩二監督は不振でも4番から降ろさず、辛抱して使い続けた。山本浩二監督は解任されたが、新井は全日本の4番になるまで成長した。「ミスター赤ヘル」の称号を継ぐのは新井しかいない。カープファンは皆、そう思っていた。しかし、新井はカープを捨てた。
 「ファンの力が僕らの力だ]創建ホームのラジオCMで新井と黒田が言っていた。今春、ウチの嫁さんが競馬場のイベントで山本浩二さんと仕事をしたときに帰り際、「カープをずっと応援してね」と言われたそうだ。浩二さんはイベントが終わった後、ファンの一人一人に丁寧に握手していた。嫁さんが仕事が終わった後、ユニフォームにサインと写真を頼んでも、心良く受けてくれた。浩二さんのカープ愛がジンと伝わってきた。
 私は美浦の仕事場では浩二さんのサインが入った鯉パーカーを着て、仕事している。新井がカープを捨てたからと言って、鯉を愛する気持ちに変わりはない。むしろ、今まで以上に愛情を持って、応援する。それがカープファンにできる唯一のことだ。
 カープファンは誇りを持つべきだ。メッセージ入りの応援フラッグを掲げて、背番号入りの応援シートを作り、新井の残留メッセージを伝えた。金本の悲劇を繰り返したくない。その熱き思いは黒田に伝わった。
 しかし、新井はファンよりも自分を選んだ。それだけのことだ。新井の野球人生だから、あれこれ言うつもりはない。ただ、野球人生が終わった後も人生は続いていく。一つ言えるのは野村や佐々岡、浅井のように、ファンの愛情に包まれた、幸せな引退ゲームを送ることはないだろう。
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