「ウチの大将がいなくなると寂しくなったな」
サンカルロが2015年1月4日に競走馬登録を抹消した4日後、
大久保洋吉調教師はポツリと呟いた。
10月19日メイクデビュー東京で初勝利をあげると、
2歳から8歳まで7シーズンに渡る競走生活を送った。
「脚元が丈夫だし、痛いところは一つもなかった。
暑さが苦手で夏場に放牧に出したぐらいで、
脚部不安などで休ませたことはない。
厩舎で一緒に過ごした時間はこの馬が一番長いかもな」
年明けに北海道新冠町の優駿スタリオンステーションに向かった。
「牧場に行く馬運車にも嫌がる素振りを見せずに素直に乗ったようだ。
性格は真面目だし、悪さをすることは最後までなかった。
強いてあげれば、調教中に尾関を振り落として骨折させたことかな」と苦笑する。
2008年12月、技術調教師として大久保厩舎に所属した尾関知人調教師は、
角馬場での運動中に落とされて右足のくるぶしを骨折した。
尾関調教師は「人生で初めて入院生活を送ったのは痛い思い出です(笑)。
普段は大人しいのになぜあのときだけ暴れたのか不思議ですが、
今では開業前に落ち着いて考える時間を作ってくれたと感謝しています。
サンカルロと一緒にGIを戦えたのは感慨深いですね」と話す。
芝短距離重賞路線を中心に活躍し、通算成績は49戦6勝。
付加賞金を含む総獲得賞金は4億9621万円。
芝短距離重賞で4勝。
2010年から高松宮記念、スプリンターズSの春秋スプリントGIに5年連続出場。2011、2012年にレース史上2頭目の連覇を果たした阪神カップには、
2009年から6年連続出走。
「2011年春、メジロ牧場が解散して、
所属馬が激減したときに厩舎の屋台骨を支えてくれた。
GⅠに使う馬がいればスタッフの励みになるし、
重賞で堅実に走ったので経営面でも助かった。
サンカルロが大黒柱を務めたおかげで、
オーロマイスターやショウナンラグーンが重賞を勝つ下地を作ってくれた。
晩年の厩舎を盛り上げてくれた功労馬だな」
GI競走に15回出走。
2011、2012年高松宮記念で2年連続2着に入線したが、
GIタイトルにあと一歩届かなかった。
「本質的には1400mがベストだし、展開に注文がつくので、
GIでは全てが噛み合わないと勝てない。
強いスプリンターがいたからな。時代も悪かった」
数あるGI挑戦の中で、
「勝つチャンスがあると感じたのは2014年スプリンターズSだった」と振り返る。
「2014年はロードカナロアが引退した直後のシーズンで抜けた馬がいなかった。
その年は新潟競馬場で行われたが、
2ヶ月間使っていたので外差しが決まる馬場になっていた。
外枠も良かったし、色気を持っていたが、
スタートで出遅れたのが痛かった。
調子が良くなるとゲート内でガタつく面があるので、
豊(吉田豊騎手)には注意しろと話したが…。
勝ち馬がいた中団の位置が取れていれば勝っていたはずだ」
2014年スプリンターズS(10着)は8歳での挑戦だったが、
最後方追走からメンバー中最速の上がり3ハロン(33秒7)を記録した。
「年齢的な衰えはなかったし、どんな展開でも最後は必ずいい脚で追い込んでくる。
ただ、1番の上がりはもういらないから1着が欲しかった。
種牡馬にはなれたが、GIを勝てなかったことが本当に心残りだ」
GI制覇の夢は2018年からデビューする子供に託された。
「サンデーサイレンス系の繁殖牝馬と配合できるのは一番のセールスポイントだな。
馬格があるし、体も丈夫なので息の長い活躍をしてくれるだろう。
サンカルロの子供がGIを勝つのが定年後の楽しみだな」
勝負師としての視線は和らぎ、孫を見るような目線で話していた。
(2015年社台サラブレッドクラブ会報・加筆修正して掲載)