黄金時代の幕開け

 正直、どうやって喜んでいいのかわからない。
 これが夢心地というのか。気分がふわふわして落ち着かない。
 9月25日、広島東洋カープが2対0で中日ドラゴンズを破り、球団史上初のクライマックスシリーズ進出を決めた。今日は美浦トレセンで仕事なので寮にこもって、広島ローカルのRCCラジオを聞いていたが、ゲームセットの瞬間、カープファンの地響きのような大歓声に鳥肌が立った。
 カープがAクラスに入るのは97年以来、16年ぶりになる。98年春に競馬専門紙ホースニュース馬』社に入社した私にとっては社会人になって初めてのAクラスだ。趣味だった「競馬」が仕事になり、純粋に心の底から楽しめるのはカープの応援だけだった。
 正直、楽しい記憶なんてどこにもない。今でも思い出すのは07年10月7日神宮球場のヤクルト対広島の最終戦。ブラウン体制2年目の07年(5位)はヤクルトと最下位争いをしていたが、最終戦古田敦也プレイングマネージャー引退試合だった。古田の最終打席に登場するのはその年に引退を表明していた佐々岡真司投手。古田がバッターボックスに立った瞬間、レフトスタンドのカープファンは一斉に立ち上がり、ヤクルトファンと一緒に古田コールを始めた。
 カープ一筋17年、チームのために粉骨砕身の覚悟で投げ続けた佐々岡の最後の投球に送る声援はないのか。佐々岡が古田に打たれる姿を見たいのか。最終戦でも来年に繋がる勝利を求めていないのか。ファンが勝敗にこだわらないチームは強くならないと本気で思った。
 07年オフ、エースの黒田博樹、4番の新井貴浩がFA宣言をしてチームを去った。特に「カープが大好きなんでつらかったです」と涙を流して阪神タイガースに移籍した新井貴浩の言葉は一生忘れない*1
 FA宣言する理由を「優勝争いができるチームに入ってしびれる場面でプレーしたい」と話した。自分の力ではカープを優勝できるチームにはできない。だから、優勝できるチームにいく。「カープの四番」のプライドもなく、大好きなカープを捨てて、真っ先に逃げ出した。
 皮肉にも新井が入団した阪神タイガースは08年以降、1度も優勝していない。クライマックスシリーズファーストステージも1度も勝ち上がっていない。優勝は他者から与えられるものではなく、自ら掴み取るべきものだ。覚悟なき者に栄光は訪れない。
 今年「菊丸コンビ」で1、2番を張った丸佳浩菊池涼介は07年以降のドラフトで入団した選手だ。低迷期を知らない若武者がガムシャラにチームを牽引してクライマックスシリーズ進出に導いた。
 借金2の3位では胸を張ってクライマックスシリーズには出られない。1つでも多く勝ち、可能性がある限り、1つでも上の順位を目指す姿勢が来年以降の優勝に繋がるはずだ。
 新生カープの船出は9月26日エース前田健太の先発から始まる。平成の黄金時代の幕開けだ。