足の速さは♪誰にも負けな〜い♪風を切り走れ♪木村拓也広島東洋カープ木村拓也外野手(34)が読売ジャイアンツ山田真介外野手(26)と交換トレード!辻三蔵の「ウィークエンダーはてな注目キーワードでは木村拓也、キムタクが1、2位を独占!キムタクの存在は大きかった!
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「野球選手、木村拓也をつくってくれたのが広島。(日本ハムから)トレードでカープに来たけど、僕自身もほとんど広島の人間になっていた。正直言ってすごく愛着があった」と無念さをにじませたキムタク。宮崎南高校で高校通算30本塁打を放ち、1991年に日本ハムドラフト外で入団。右投げ両打ち。1995年に長冨浩志投手との交換プラス金銭トレードで広島に入団すると、2000年にセカンドのレギュラー獲得。その年の夏、10年目で初のオールスター出場を決めた。自己最高の記録だった2000年は打率.288、ホームラン10本、安打数3位(165安打)、セ最多二塁打(34)、初の全試合(136試合)出場を果たした。
 2001年にも監督推薦で2年連続オールスター出場し、2003年には内外野から捕手までこなせるバイプレイヤーぶりを買われて、アテネオリンピック日本代表に選ばれた。五輪では出場機会に恵まれなかったが、代打、代走から守備固め、一塁コーチャーとあらゆるポジションをこなした。中畑清代理監督には「縁の下の力持ち」と言わしめた。
 プロ通算1138試合出場、打率.260、42本塁打、97盗塁。しかし、若返りを進めるマーティーブラウン監督の構想から外れて、今年は一度も一軍に上がれなかった。ブラウン監督も苦渋の決断だったはずだ。内外野守れるユーティリティープレイヤーのキムタクは巨人の原監督が言うように「使い勝手がいい」。現にカープは開幕スタメンだったショート山崎浩司、セカンド梵英心が4月は打率が身長(170cm台)にも及ばず、センター緒方孝市が故障。準レギュラーだった廣瀬純外野手も戦線離脱し、本来ならキムタクを使いたくて仕方がなかったはずだ。
 それでもブラウンは我慢した。内野は東出、梵で固めて1、2番を確立した。2軍から昇格した若手を積極的に起用して末永真史松本高明といった次世代のレギュラー候補が誕生した。「3年で優勝するチームをつくる」ためには思い切った若返りが必要だった。だから、マイナー監督時代ブラウン自らカープに推薦して、本人も「カープが大好きだった」ラロッカ(34)内野手自由契約にしたのも、ケガがちなのと守備に難があるからだった。もちろん、栗原健太(24)内野手を一人前にする目的もあっただろう。
 キムタクはカープファンから愛される素晴らしい選手だった。ただ、カープが変わるためには今までと同じではいけない。だから、日本一のユーティリティー選手を一軍に上げなかった。上げれば、使いたくなる。それぐらい、まだまだやれる。今日の巨人の出場選手には「フレッシュジャイアンツ」の堀田一郎(32)、黒田哲史(31)、原俊介(29)といった若くない「若手」が名前を連ねていた。彼らはおろか、打率が2割にも満たない小坂誠(33)や仁志敏久(35)といったレギュラークラスよりも力は上だろう。カープでは出場機会に恵まれなかったが、今のジャイアンツならレギュラーが取れる。
 一番、印象深いのは「SMAP×SMAP」SP『木村拓哉VS同学年100人』に木村拓也が出演したときに収録後のジャイアンツ戦でホームランを打ったこと。本家キムタクを「すげえ!カッケー!」と唸らせた男だ。
 最後にもう一度、応援歌を歌おう。足の速さは♪誰にも負けな〜い♪風を切り走れ♪木村拓也♪さらば!キムタク! 
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